大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和60年(ワ)14661号 判決

原告

岡 田   茂

右訴訟代理人弁護士

高 橋 清 一

御 正 安 雄

竹 澤 哲 夫

金 綱 正 巳

山 田 有 宏

丸 山 俊 子

福 山 嗣 夫

右御正安雄訴訟復代理人弁護士

中 城 美惠子

被告

株式会社 三越

右代表者代表取締役

市 原   晃

被告

三越企業有限公司

右代表者代表取締役

向 井 史 郎

被告

藤 村 明 苗

被告

萩 原 秀 彦

被告

平 出 昭 二

被告

向 井 史 郎

右六名訴訟代理人弁護士

河 村   貢

河 村 卓 哉

豊 泉 貫太郎

被告藤村明苗、同萩原秀彦、同平出昭二、同向井史郎訴訟代理人弁護士

村 上   實

被告藤村明苗、同萩原秀彦、同平出昭二、同向井史郎訴訟代理人

右河村貢村上實訴訟復代理人弁護士

三 木 浩 一

被告藤村明苗、同萩原秀彦、同平出昭二、同向井史郎訴訟代理人

右河村貢訴訟復代理人弁護士

岡野谷 知 広

主文

一  被告平出昭二は、原告に対し、金九六八六万一0三八円及びこれに対する昭和六一年三月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告平出昭二に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の六分の一と被告平出昭二に生じた費用を被告平出昭二の負担とし、原告に生じたその余の費用と、その余の被告に生じた費用を原告の負担とする。

四  この判決は、第一及び第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、金一億00五三万一四六0円及びこれに対する昭和六一年三月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告三越企業有限公司の本案前の答弁

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  請求の趣旨に対する答弁(被告全員)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件契約の締結

(一) 原告は昭和五七年九月二二日まで、百貨店業を営む被告株式会社三越(以下「三越」という。)の代表取締役であった者、被告三越企業有限公司(以下「香港三越」という。)は香港に本店を置く三越の事実上一00パーセント出資の子会社、被告藤村明苗(以下「藤村」という。)、被告萩原秀彦(以下「萩原」という。)、被告平出昭二(以下「平出」という。)は、いずれも三越の従業員で香港三越に出向して勤務したことがある者、被告向井史郎(以下「向井」という。)は昭和六0年九月ころから香港三越の代表取締役の地位にある者である。

(二) 原告は藤村に対し、昭和五六年二月ころから同年一二月ころまでの間に、東京又は香港において、原告の交付する金員を藤村が香港に所在する銀行に自己名義で定期預金の方法で預金し、預金期間更新による利殖、元利金の管理及び報告を行い、原告の請求があるときは直ちにこれを邦貨(日本円)に換金して返還する旨の約定のもとに、約一0回に分けて、合計約八000万円の金員を交付した(以下、右金員の交付に伴う原告と藤村との契約を「本件契約」という。)。

(三) 藤村は、原告から受領した右金員を米国ドル(一部香港ドル)に換金して香港所在の銀行に定期預金又は普通預金の方法で預金した。

2  萩原の債務

(一)(1) 藤村は昭和五七年三月ころ日本へ帰国したが、同人はこのころまでに萩原に対し、本件契約について説明し、原告のために本件契約に共同受託者として参加することを申し込み、萩原はこれを承諾した。藤村は帰国後右事実を原告に報告し、原告もこれを承諾した。

(2) 藤村は無権代理人として原告のために右(1)と同趣旨の契約を萩原と締結し、原告はこれを追認した。

(3) 原告は本件契約に際し右(2)の契約を締結する代理権を藤村に授与し、藤村は萩原と右契約を締結した。

(二) 仮に右(一)の各主張が認められないとしても、藤村から萩原に本件契約上の地位が承継され、又は藤村と萩原との間に本件契約上の債務について免責的債務引受がされた。

3  平出の債務

(一) 萩原は、昭和五七年七月ころ日本へ帰国することとなったが、萩原は藤村の指示により保管していた預金証書全部を平出に預けることとし、前記2(一)の萩原の本件契約への参加と同趣旨の約定が原告と平出との間に成立した。

(二) 仮に右(一)の主張が認められないとしても、萩原から平出に本件契約上の地位が承継され、又は萩原と平出との間に本件契約上の債務について免責的債務引受がされた。

4  本件預金

本件契約に基づく預金の具体的内容は、昭和五七年九月当時において別表(一)記載のとおりであった(以下「本件預金」という。)。

5  本件契約の履行期限の到来

(一) 原告は、藤村、萩原、平出(以下、右三名を「藤村ら三名」という。)に対し、遅くとも本件訴状をもって本件預金にかかる金員の返還を請求し、右訴状は藤村に昭和六0年一二月二六日、萩原に昭和六一年二月一二日、平出に昭和六0年一二月二四日、それぞれ送達された。

したがって、本件契約の履行期限は遅くとも昭和六一年三月一0日には到来した。

(二)(1) 昭和六一年三月一0日当時における本件預金の明細は、別表(二)記載のとおりであり、その合計額は、邦貨に換算して一億00五三万一四六0円である。

(2) 仮に右主張が認められないとしても、昭和六一年三月一0日当時における本件預金の総額は九六八六万一0三八円を下らない。

6  填補賠償とその基準時

仮に本件契約上の藤村ら三名の債務として金員の支払義務が認められないとしても、右5(一)のとおり、原告は藤村ら三名に対し本件契約上の債務の履行を催告したのに、右三名は、催告後相当期間を経過した昭和六一年三月一0日においても任意に履行しなかったから、債務不履行に基づく填補賠償として右時点における本件預金相当額の金員を支払う義務がある。

7  被告らの不法行為

被告らは、共謀して、以下のとおり原告が本件預金を預金銀行から回収することを妨害した。

(一) 預金証書の任意提出

三越は、昭和五七年一0月一0日、総務部長訴外梶山幹雄(以下「梶山」という。)をして香港三越に出張させ、何らの預かる権限もないのに、またこれを知りながら、香港三越の副支配人で三越の社員でもあった平出に対し、同人が保管していた別表(一)の各預金証書類(ただし、3を除く。)を社命として提出させ、これを受領したうえ、同月一三日、東京地方検察庁に任意提出した。香港三越もこれに同調した。

(二) 藤村ら三名の債務不履行―報告等の懈怠

(1) 原告は昭和五八年一二月一六日訴外菅原篤をして、平出に対し本件各預金の存在、内容及び返還意思等について尋ねさせたが、平出は、正しい保管状況、右任意提出の事実を隠し、曖昧な返事をした。これは三越の指示によるものである。

(2) 原告代理人弁護士山田有宏は、昭和五九年三月ころ書面をもって、平出に対し本件各預金の保管経過等について尋ねたところ、三越は、平出のため村上實弁護士を委任し、同弁護士名で、平出は現在右証書類を保管していないと回答した。しかし、現実には、平出は三和銀行香港支店への預金証書を保持していたのであるから、右回答は虚偽のものであった。

(3) 三越は、藤村ら三名の本件各預金の取扱い、原告に対する回答その他の対応、処置等一切を三越の渉外室の管理下におき、その指示によって原告に対し履行、協力等の行為を行うことを禁止している。

(4) 原告代理人弁護士御正安雄は、昭和六三年五月六日書面をもって、藤村ら三名の代理人弁護士村上實に対し本件各預金の内容の報告、管理状況、履行の意思等について尋ねたところ、同弁護士名をもって、藤村、萩原は責任を否定し、平出は訴訟の主張通りと回答し、何らの誠意も示さない。これらの行為は三越の指示により藤村ら三名が共謀して行っているものである。

(5) 藤村ら三名は、三越の指示に従って故意に原告に対する義務を履行しない。また、香港三越及び向井も、預金証書及び現金隠匿等につき補助している。

(6) 預金証書は有価証券ではなく証拠書面にすぎないのであるから、被告らは、右(一)の預金証書の任意提出後においても、右証書類なくして本件各預金の管理返還を受けることができるのに、被告らは事情を説明して預金の解約等の交渉を行うこともせず、また東京地方検察庁に申請すれば原本による謄本を提出して、還付、仮還付の請求をすることができるのに、昭和六二年六月二九日までこれを行わなかった。

(三) 本件預金の払戻しと統合整理

平出は、三越及び香港三越の指示により、別表(一)の各預金中(ただし10を除く。)、萩原及び藤村の各預金名義分につき、同人らの使者ないし代理人として、同人らと共謀のうえ、原告に無断で払戻しを受け、これを原告に返還せず自己名義で再預金し、違法に領得した。

(四) 三越の不法行為責任

なお、右(一)ないし(三)の三越の不法行為は、梶山のほか、同社の社長室長訴外村田某の行った不法行為についての民法七一五条に基づく使用者責任である。

8  原告の損害

(一) 被告らの右不法行為により、原告は藤村ら三名に対する債権の履行を著しく困難にされたから、前記5(二)の本件契約上の債権額に相当する損害を受けた。

(二) 仮に前記7(三)の平出の本件預金の新規総合整理により、原告が藤村、萩原に対して有する本件債権を喪失したと認められた場合には、その喪失額が原告の損害となる。

(三) 仮に右(一)及び(二)のいずれも認められない場合には、被告らは藤村ら三名の本件契約上の債務の履行を妨害したものとして、少なくとも本件債権に対する遅延損害金の部分については損害賠償責任がある。

9  よって、原告は、藤村、萩原及び平出に対しては、主位的に本件契約上の請求権ないし右契約上の債務の履行に代わる損害賠償請求権に基づき、予備的に不法行為による損害賠償請求権に基づき、三越、香港三越、向井に対しては、不法行為による損害賠償請求権に基づき、一億00五三万一四六0円及びこれに対する催告後かつ不法行為後であり填補賠償の基準日の翌日である昭和六一年三月一一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める。

二  被告香港三越の本案前の主張

香港三越は、香港における法令により設置され本店を香港におく外国法人であり、日本国内において代表者、営業所等を設けていない。また日本において事業活動もしていない。

したがって、香港三越は本件につき日本国の裁判権に服しないものであるから、同被告に対する訴えは却下されるべきである。

三  請求原因に対する答弁

1  請求原因1(一)は認める。

同(二)のうち、原告が藤村に原告主張のころ東京又は香港において約一0回に分けて、合計約八000万円の金員を交付したことは認めるが、本件契約の内容については否認する。

同(三)は認める。

2  同2(一)は否認し、(二)は認める。

3  同3(一)は否認し、(二)は認める。

4  同4は認める。

5  同5(一)は認め、(二)(1)は否認し、(2)は認める。

6  同6は争う。

7  同7については、(一)のうち梶山が香港三越に赴き平出に対し本件預金証書類の提出を求めてこれを受領し昭和五七年一0月一三日東京地方検察庁に提出したこと、(三)のうち平出が原告主張の各預金を自己名義で再預金したことは認め、その余は、(二)(2)及び(4)の各書面による問合せの事実並びに回答内容を除き、争う。

8  同8は争う。

四  被告らの主張

1  契約上の地位の離脱(藤村、萩原の主張)

(一) 藤村は、昭和五七年三月一九日に三越に転勤することとなった際、原告から、本件預金の証書をすべて萩原に引渡し以後は萩原において原告のために保管させるようにとの指示を受け、これに従って、原告を代理して萩原に右預金証書を引渡し、かつ以後原告のために保管するよう委託した。

(二) 萩原が昭和五七年八月に三越に転勤することとなった際、原告は藤村に、原告を代理して萩原及び平出に対し本件預金の預金証書を以後平出において保管するよう指示することを依頼し、藤村は、萩原に右預金証書類を平出に引渡すことを指示するとともに、平出に以後原告のために保管することを指示し、萩原及び平出はこれを承諾した。したがって、以後は平出において原告のために右証書類を保管していた。

(三) 右(一)及び(二)はいずれも原告の承諾のもとに契約上の地位を移転したものであり、したがって、藤村及び萩原は、本件契約の当事者の地位から離脱し、その義務を免れた。

仮にそうでないとしても、右は当事者の交替による更改であり、或いは順次免責的な債務引受が行われたものである。

2  責に帰すべからざる事由の存在

(一) 本件契約の内容

本件契約上の債務は、①原告から日本円で現金の交付を受けたときは香港に持参する、②右現金を香港において香港ドル又は米国ドルに換金する、③しかる後香港ドル又は米国ドルをもって香港で営業する銀行に預金口座開設のうえ右現金を預け入れる、④右預金に係る証書、通帳を債務者において期間を定めることなく保管する、⑤右預金が満期となった際には逐次元利合計の上再預金手続をし、これに係る証書を保管する、⑥原告から返還の請求があった際にはそれぞれの預金につき債務者において保管してある証書等を使用して速やかに各銀行に対し払戻手続を行う、⑦右手続により銀行より交付された米国ドル、香港ドルを保管する、⑧右保管現金を債務者において日本円に換金する、⑨債務者から原告に対し金銭を交付する、という一連の行為からなっているものであり、⑧の債務が現実化するまではいずれも作為に関する債務であってその不履行については民法四一九条の適用もないものである。

(二) 預金証書の任意提出

しかるに、昭和五七年九月二二日原告が三越の社長を解任され、その直後から東京地方検察庁は三越に対し強い姿勢で膨大な資料の提出を要求し、平出が保管していた預金証書についても提出を求めた。そして、右提出要求が犯罪ないし違法行為の解明という正当な目的に基づくものであることから、平出は当時香港三越の副支配人として、また三越の幹部職員として、三越及び香港三越を含めた三越グループ全体の今後の命運等を総合的に判断した結果、当時の三越の経営陣の総意に合致した意向に沿う形で本件証書類を捜査当局に提出すべきものと判断した。右は当時平出の置かれた立場としてはやむを得なかったものであり、その責に帰することができないものである。

(三) 仮還付後について

また、昭和六三年三月、梶山は東京高等裁判所から本件預金証書類の仮還付を受けてこれを平出に交付したが、平出はこれらの預金を再度新規に預金手続をした。しかし、右交付は仮還付手続であることから、東京高等裁判所における押収の効力は依然として維持されているのであり、原告が当時香港において多額の金額を預金していた事実の立証のため再提出を求められた場合には右預金証書を東京高等裁判所に提出することも十分考えられ、仮還付受領者たる梶山において公法上、裁判所に対する法的義務として処分権限を奪われていることから、平出においても現在右証書に基づき現金化することは不可能な状態である。

五  被告らの主張に対する答弁

被告らの主張はいずれも否認ないし争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一香港三越に対する裁判権の存否

本案の検討に先立ち、香港三越に対する訴えにつき、わが国裁判所が裁判管轄権を有するか否かについて判断する。

本件のように外国法人を被告とする民事事件につきいずれの国が裁判管轄権を有するかについては、わが国にはこれを直接規定する成文法規はなく、また、よるべき条約も、一般に承認された明確な国際法上の原則も確立していない。そこで、この場合においては、右国際裁判管轄は、当事者間の公平、裁判の適正・迅速を期するという理念により、条理に従って決定するのが相当である。そして、わが国民事訴訟法の国内の土地管轄に関する規定は、国際裁判管轄を定めたものではないが、国内における管轄権の場所的配分の定めとして合理性があると考えられるので、同法の規定する裁判籍のいずれかがわが国内にあるときは、裁判管轄権を肯定することにより却って条理に反する結果を生ずることになるような特段の事情のない限り、被告をわが国の裁判管轄権に服させるのが相当である。

ところで、国内の土地管轄を決定する場合において、本件のような共同不法行為を事由とする主観的併合の被告間には民事訴訟法二一条の適用があると解すべきであるが、国際裁判管轄を定める場合には、さらに国際的観点から考慮し前記のような条理に反する結果を来すような特段の事情が認められない限り、国際裁判管轄の決定について右規定の準用を認めることができると解される。そして、〈証拠〉によると、香港三越は、香港法に基づいて設立された香港所在の法人であり、日本国内において営業所等を設けておらず事業活動もしていないが、三越がその株式の一00パーセントを所有している完全な子会社であること、また、香港三越と共謀して不法行為を行ったとされている被告らは、いずれも香港三越に勤務し、藤村が昭和五五年二月から昭和五七年三月まで専務取締役、萩原が昭和五一年五月から昭和五七年七月まで支配人、平出が昭和五七年八月から昭和五八年八月まで副支配人、同月から昭和六0年八月まで支配人、向井が本件訴え提起当時代表取締役という、香港三越における代表者ないしそれに準ずる重要な役職にあった者であるが、右四名はいずれも同時に三越の従業員を兼務し、三越からの出向という形で赴任していたこと、これらの者のうち、被告向井史郎を除くその余の被告らはいずれも本件訴え提起当時、既にわが国に帰国しており、その後もわが国に在住していることが認められる(香港三越が三越の一00パーセント出資の子会社であること、藤村、萩原、平出が三越の従業員で香港三越に出向して勤務したことがある者であり、向井が香港三越の代表取締役であることは、当事者間に争いがない。)。本件訴えをわが国の裁判所で審理した場合、香港三越は自己の営業活動と関係のない国での応訴を強いられることになり、一般的にはその防御活動においては若干の不都合の生じる可能性があり得ないわけではないと考えられるけれども、本件における相被告である三越は香港三越と極めて結び付きの強い親会社であり、その他の相被告との関係も右にみたとおり極めて密接なものであって、香港三越が本件においてこれら相被告と共通の代理人を選任して訴訟活動を行っていることは記録上明らかである。また、本件における重要な証拠方法である藤村、萩原及び平出は現在日本に居住しており、ほかに本件につき香港において証拠調を行わなければならないような事情は何らうかがうことができないから、わが国に国際裁判籍を認めることが証拠調の便宜や訴訟経済の観点からも適当であると考えられる。

そうすると、香港三越には前記のような特段の事情はないといわなければならず、したがって、香港三越に対する訴えにつき主観的併合の場合の関連裁判籍の規定である民事訴訟法二一条を準用して国際裁判管轄を認めるのが相当である。

二契約に基づく請求について

1  昭和五七年九月ころまでの事実関係

請求原因1(一)の事実及び原告が藤村に対し昭和五六年二月ころから同年一二月ころまでの間に、東京又は香港において約一0回に分けて合計約八000万円の現金を交付したこと、並びに藤村が右金員を米国ドル又は香港ドルに換金して香港所在の銀行に定期預金又は普通預金の方法で預金し、これらの預金が昭和五七年九月当時、別表(一)のとおり預金されていたことは、当事者間に争いがなく、右の事実のほか、〈証拠〉によると、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、三越の代表取締役社長であった昭和五六年ころ、香港の金融機関の利息が日本のそれよりも高利であるという話を聞き、当面必要のない自分の余裕金を香港の銀行に預金することを思い立った。そこで原告は、同年二月ころ香港を出張で訪れた際、香港のマンダリンホテルの一室において、当面香港三越の専務取締役の地位にあった藤村に対し、現金を米国ドルか香港ドルに切り替えて香港の銀行に預金したいので、その手続をして証書を預かってほしいと頼んだ。その際、原告は、自己名義で預金できないかと尋ねたが、藤村が香港在住者の名義でなければ預金できないと答えたため、藤村の名義で預金するよう頼み、藤村がこれを承諾したので四00万円の現金(日本円)を手渡した。

さらに原告は、そのころから同年一二月ころにかけて、約一0回にわたり、香港のホテルや東京の三越の社長室において、右と同趣旨で藤村に合計七五00万円の日本円と二万六000香港ドルを交付した。

なお、これらの現金交付に当たっての原告の指示は、預金して預金証書を保管しておくようにということだけで、預金先の銀行や預金の種類等については、原告としては藤村に任せるつもりであったため、特に指示はされなかった。また、これらの預金を引き出して原告に返還する時期等についても明示の合意はなかったが、原告としては自分が請求すればすぐに引き出されるものと考えており、藤村も請求があり次第これを引き出して原告に返還することが当然であると考えていた。

(二)  藤村は、これら原告から預かった現金をいずれも一週間以内に、日本円については米国ドルか香港ドルに換金したうえ、香港の銀行に定期預金として入金し、証書を保管していた。定期預金の期日が到来する際にも原告からの特段の指示はなかったので、ほとんどはそのまま継続の手続をとっていた。

(三)  昭和五七年三月、藤村は東京の三越の商品本部に転勤するため日本に帰国することとなったが、右転勤の直前、東京の三越社長室において、本件預金の保管等をどのようにするかにつき原告に指示を仰いだところ、原告は、後は当時香港三越の支配人であった萩原にまかせるようにと指示した。そこで、同月下旬、藤村は香港三越において萩原に原告の指示及び従来自分が原告から受けていた指示を伝えたところ、萩原がこれを承諾したので、本件預金証書と明細を書いた書類を萩原に手渡した。

その後、萩原は、本件預金につき、満期になると期間更新の手続をとっていたが、預金名義や預金先の銀行を変えること等はなかった。

(四)  同年八月ころ、萩原は東京に転勤することとなったが、それに先立ち、藤村に対し、本件預金証書をどうしたらよいか原告に指示を仰いでほしいと連絡した。藤村は右について原告に尋ねたところ、原告が後は平出に任せるようにと指示したので、その旨萩原に伝えた。

平出が香港三越に赴任した二、三日後、香港三越の支配人室において、萩原は平出に対し、後日藤村から指示があるが、とりあえずこれを預かっておいてくれ、と告げて本件預金の預金証書類を渡した。そして同年九月中旬ころ、藤村は平出に、今後口座を引き継いで、満期がきたら自分の名義に変えていくようにと指示した。

(五)  昭和五七年九月ころ、本件預金は別表(一)のとおり預金されていた。

以上のとおり認められ、〈証拠判断略〉

2(一)  本件契約の内容

右1認定の事実関係に照らすと、原告と藤村との間に締結された本件契約は、原告の交付する金銭を藤村が香港の銀行の高い金利を利用して利殖し、原告の請求があれば速やかにこれを引き出して返還することを中心的内容とするものであったと認めることができ、両者間に細部にわたる明示的な合意はなかったものの、預金先の銀行の選択や預金の種類等の運用の実際については藤村に委ね、また原告に返還する際の通貨については、返還に当たっての原告の希望(通常は日本円と考えられる。)に従うものとする黙示的な合意があったものと認めるのが相当である。

(なお、原告は、本件契約は実質的に信託の性質を有するものであったと主張するようであるが、前記1に認定した本件契約締結に関する事実関係からはそのような性質を有していたと解すべき根拠は見当らず、ほかに右性質を有していたものと認めるに足りる証拠はない。)

(二)  本件契約における当事者の交替の有無

そして右のとおり、本件契約における藤村の債務の中心的部分は、原告交付にかかる金銭を香港の銀行金利を利用して利殖し原告からの請求があればこれを引き出して速やかに返還するというところにあったと認められるところ、前記1のとおり、本件契約締結の際に香港の銀行への預金は現地に在住する者の名義でなければできないという説明が藤村から原告に対してされていること、預金の引出し等を実際に行うのも香港に在住していなければ困難であること、他方本件契約の性質上債務者の個性はその履行に当たってさほど重要なものとは考えられないことからすると、本件契約における藤村の債務者としての地位は、藤村の帰国に際して原告が藤村に行った指示とその後の承諾とによって萩原に移転し、萩原の債務者としての地位は、萩原の帰国に際して原告が藤村を介して萩原に行った指示とその後の平出の承諾とによって平出に移転したものとみるのが相当である。

なお、原告本人尋問の結果中には、本件預金の管理については藤村や萩原にその帰国後においても共同して責任を持ってもらうと考えていたとする供述部分が存するが、藤村や萩原に対しその旨を告げて右両名が了承したというわけでないことは右本人尋問の結果自体からも明らかであるし、前記1認定のとおり、藤村及び萩原の帰国の際に原告が行った指示の内容は極めて簡単なもので、このような原告の言動からは契約上の当事者を複数にして、契約関係を複雑にする意思を推認することは困難である。したがって、右供述部分はいまだ右認定を左右するには足らないものというべきである。

また、〈証拠〉によると、右両名の帰国時にはその名義にかかる預金口座があったこと、これらの引出しについては基本的には名義人の署名が必要で、同人らも後任者から引出しのために署名を求められればこれに応じるつもりであったことが認められるけれども、これを原告との関係における本件契約上の債務とみることは適当でないから、右各本人尋問の結果は右認定を左右するものではない。

ほかに、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、昭和五七年九月の時点では原告と平出が本件契約の当事者であったと認めることができる。

(三)  したがって、藤村及び萩原に対する本件契約に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

3  平出に対する請求について

(一)  原告が平出に対し、昭和六0年一二月二四日本件訴状の送達により本件預金の返還請求をしたことは当事者間に争いがないから、本件預金を預金先の銀行から引き出して日本円に換金したうえ原告に引き渡すという平出の本件契約上の債務は、履行時期が到来したものと認められる。

(二)  ところで、原告は本訴において、昭和六一年三月一0日の時点における本件預金の邦貨換算額の支払を、本件契約上の債務の履行として求めるものである。しかし、本件契約の内容は前記2(一)に判示したとおり、本件預金を引き出し、それを日本円に換金して原告に引き渡すというものであり、しかも平出がいまだ右預金を引き出していないことは如上事実関係から明らかであるから、右請求は預金継続中であった特定の時点における邦貨換算額そのものの支払を求めることに帰し、本件契約上の債務の履行を求める請求としては認容し得ないものといわなければならない。

(三)  原告は、また本件契約の履行に代わる填補賠償を求めるものであるが、債務者の債務不履行があった場合には、債権者は本来的な債務の履行を催告した後相当期間が経過した後であれば、もはや右債務の履行を期待できないとして、その履行に代え填補賠償を求めることも可能となると解される。そして、前記昭和六0年一二月二四日の返還請求は、本件契約上の債務の履行の催告に当たると解することができ、その後原告は、昭和六三年一二月一二日の本件第二一回口頭弁論期日において、昭和六一年三月一0日の時点における本件預金の邦貨換算額の支払を求めたのであるが、この時点で、右催告から相当期間が経過していたことは明らかである。

4  平出の帰責事由の存否を争う主張について

平出は本件預金の預金証書につき、昭和五七年一0月ころ東京地方検察庁から強い要請を受けたためにこれを任意提出したので、本件契約上の債務は平出の責に帰すべからざる事由により履行ができなかったものであると主張する(被告らの主張2)。

右任意提出の事実は当事者間に争いがない。そして、仮に右任意提出がやむを得ないものであったとすると、平出としては自ら預金証書を用いて本件預金の引出しをすることが事実上困難な状態に置かれたものということができる。

しかし、そのことから直ちに、本件契約上の債務を履行できないことについてやむを得ない事情があったと認めることはできず、そのためには、平出において預金証書がなければ本件預金を引き出すことが不可能であったことを主張立証する必要があるといわなければならない。すなわち、預金証書は有価証券ではなく、預金に関する証拠書類にすぎないから、預金債権の行使に当たって預金証書の所持ないし提示は法律上要件ではなく、預金を引き出すために預金証書は不可欠なものではないと解されるからである。

したがって、平出が実際に自己が払戻しを受ける正当な権限を有する者であることを立証して当該銀行から本件預金を引き出そうとしたにもかかわらず銀行から拒否されたこと、或いは香港の銀行実務において右と別異の取扱がされていること等を立証しているのであれば格別、本件においては右のような事実関係は何ら現れていないのであるから、この点の立証はないというほかない。

なお、〈証拠〉によると、本件預金の証書中には、払戻につき、本証書に適法に裏書の上提出されたときにこれをする等、預金証書の提出を要件とするような記載の存することが認められるが、右は証拠証券として当然のことを記載したにすぎず、このことから当該証書を有価証券と認めることができるものではない。

そうすると、前記預金証書の任意提出が平出の責に帰すべからざるものかどうかについて判断するまでもなく、本件において平出が本件契約上の債務を履行しないことにつき責に帰すべからざる事由があると認めることはできない。

したがって、被告の主張2は理由がない。

5  右の次第で、平出は、責に帰すべき事由がないとはいえないのに、本件契約上の債務を履行せず催告後相当期間を徒過したことになるから、本件契約上の債務不履行に基づく填補賠償責任を免れないものである。

そして、本件契約における平出の債務の内容の特殊性を考慮しても、少なくとも前記催告後二か月余を経過した昭和六一年三月一0日の時点においては、同人において本件預金を引き出したうえ邦貨に換金することは十分可能であったと認められるから、右損害賠償請求の損害額は、右時点における本件預金の邦貨換算額に相応するものであるということができる。

昭和六一年三月一0日の時点における本件預金の邦貨換算額が一億00五三万一四六0円であること(請求原因5(二)(1))についてはこれを認めるに足りる証拠がなく、九六八六万一0三八円を下らないこと(同(2))については当事者間に争いがない。

したがって、平出は、原告に対し、本件契約上の債務不履行に基づく填補賠償責任として、九六八六万一0三八円及び右金員に対する損害額算定の基準時の翌日である昭和六一年三月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による金員の支払義務を負うものである。

三不法行為に基づく損害賠償請求について

進んで、平出を除くその余の被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求について判断する。

1  預金証書の任意提出について

梶山が香港に赴き平出から本件預金の預金証書の交付を受けてこれを受領し、昭和五七年一0月一三日に東京地方検察庁に任意提出したことは、当事者間に争いがない。

原告は、右梶山の行為につき、三越及び香港三越は不法行為責任を負うものであると主張する(請求原因7(一)及び(四))。

しかしながら、右預金証書が平出の本件契約上の債務の履行にとって必要不可欠なものではなく、それが検察庁に任意提出されたからといって原告の本件契約上の債権の履行請求が不可能になるものでないことは、前記二4で判示したところから明らかである。そればかりでなく、〈証拠〉によると、梶山は香港へ赴くのに先立ち、東京地方検察庁から、香港三越に原告の預金があるので、その関係書類を持って来てもらいたいという要請を受けていたこと、右要請は原告に対する刑事事件の捜査という正当な目的に基づいてされたものであり、同検察庁としては右捜査のための任意提出の要請を、仮にそれに応じない場合には強制捜査も辞さないという強い姿勢で行っていたこと、梶山が右要請の趣旨を平出に伝えて提出を求めたところ、平出は本件預金が非常に多額であること等から出所の怪しい不正な金員ではないかと感じていたため、この際検察庁に提出するのが一番よいのではないかと考え、自らの判断で梶山に預金証書を交付したものであること等の事実が認められるのであって、右のような事実関係に照らすと、梶山の右行為には不法行為法上の違法性を認めることはできないというべきである。

したがって、梶山の不法行為責任を前提とする三越の使用者責任の主張は理由がない。また、香港三越の不法行為責任についてはこれを認めるに足りる証拠がない。

2  その他の主張について

原告は、藤村ら三名が本件契約上の債務を履行しないこと、平出が原告に無断で本件預金を払戻して自己名義に統合整理したこと等につき被告らが共謀・指示・教唆等により関与していたと主張して、これらが不法行為に当たると主張する(請求原因7(二)及び(三))。

しかし、右主張のうち藤村及び萩原が本件契約上の債務を負っていることを前提とする主張は、前記二2認定のとおり右両名は本件契約上の当事者たる地位から離脱したものと認められるのであるから、その余の点につき判断するまでもなく失当である。

また、平出が原告の返還請求の後も正当な理由なく本件契約上の債務を任意に履行していないことは前記二4、5説示のとおりであるが、債務者である同人が債務を履行しないからといって直ちに契約関係にないその余の被告らの不法行為となるものでないことはいうまでもなく、右平出の不作為に関する他の被告の共謀・指示・教唆等による関与については、そのような事実を認めるには足りる証拠はない。もっとも、平出が昭和六三年五月ころ、別表(一)の本件預金のうち10を除くその余につき、仮還付を受けた預金証書を使って一旦銀行から払戻しを受けたうえ、新たに自己名義にして再預金手続をとったこと(右のうち再預金の事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は、〈証拠〉により認められる。)については、藤村及び萩原が、右預金の名義人であった関係上預金の引出しに協力したことがうかがえるけれども、預金の引出し自体はその性質上本件契約上の債務の一部の履行に当たるものであるから、それに協力することが当然に不法行為と評価されるものではなく、そのためには、右協力をすること自体が原告の権利を害することについての認識が必要であると解されるところ、藤村及び萩原においてこのような認識を有していたことを認めるに足りる証拠はない。また、平出が払戻しを受けた金員を原告に返還せず自己名義に再預金したことについては他の被告らの関与の事実を認めるに足りる証拠はない。

原告はまた、三越はその社長室長である訴外村田某の行った不法行為について使用者責任を負うものであると主張する(請求原因7(四))。

右主張事実のうち、昭和五九年三月ころ、平出が原告代理人弁護士山田有宏から書面により本件預金に関する照会を受け、村上實弁護士の名で回答をしたことについては、被告らは明らかに争わない。そして、〈証拠〉によると、平出は、当時三越の渉外室長であった右村田に相談して村上弁護士に代理人として回答を依頼したこと、その後も平出が原告代理人からの種々の問合せ等に対する対応について右村田に相談したことがうかがわれる。しかし、この一事をもってしては、債務者でない同人について不法行為が成立すると認めるに足らないし、右行為が三越の事業の執行についてされたものであることの主張立証は何ら存しない。

そのほか、被告らが本件預金を領得しようと共謀して平出の右債務不履行に加功している等、被告らに不法行為が成立することを認めるに足りる証拠はない(なお、原告は、被告ら代理人弁護士河村貢及び村上實の本件への関与を問題にするようであるが、同人らは三越との関係で民法七一五条にいう「使用人」に当たる者ではないから、同人らの行為につき同条に基づく三越の責任が生ずるものではなく、ただ、三越を含め被告ら(とりわけ前記村田)の行為の一部を構成するものとみる余地があるにすぎないが、このようにみたとしても、右に述べたように、本件預金の領得についての共謀ないし平出の債務不履行についての加功等の事実を認めるべき証拠はない。)。

したがって、平出以外の被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四結論

以上の次第で、原告の請求は、平出に対する請求のうち九六八六万一0三八円及び右金員に対する損害額算定の基準時の翌日である昭和六一年三月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、平出に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官新村正人 裁判官上田哲 裁判官上田哲 裁判官佐々木茂美は転勤につき署名捺印することができない。裁判長裁判官新村正人)

別紙<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例